一生旅行生活してえ

旅行とか写真とか。たまには自己研鑽。一生旅行生活してえ。

2020年6月9日の気になったニュース(中国の監視システムは悪なのか?)

ネタを見つけてはアウトプットしていく。今回は1つしかないがその分長め。疑問を呈していきたい。

追跡アプリ 診察情報連動 中国、コロナ対策で監視強める

www.nikkei.com

1.中国の監視社会とコロナ対策

 中国といえば監視大国で有名であることはもはや言うまでもないかもしれない。金盾により特定Webサイトへのアクセスや特定単語の検索は制限され、数億台におよぶ監視カメラで国民を監視し反逆者を徹底的に追跡し、そして芝麻信用により個々人の与信管理をする。裏を返せば国家の規律を乱す者(要は犯罪者ということだが、日本とは異なり、政権に対して反対表明をする人間も含まれるだろう)に対して、言論をネットで監視し、行動をカメラで監視し、いざとなったら個人資産の凍結や経済的な制止ができるのであろう。もはや本来的な共産主義社会主義に基づいた計画経済や政治思想とは乖離して、国家主席をトップに据え置いた共産党の独裁体制となっている。

そして、このコロナにより追跡アプリのインストールが求められ、異なる行政区画への移動や、お店の入店時にはコロナ感染のリクスが無いことを証明する関所手形として利用することが求められる。その上、GPSを用いた位置情報把握により、感染リスクの高いエリアにいないか、感染を広げてしまうような行動を取っていないかを監視することが可能となる。こうしてみると、事実上、個人の行動にかなり強い制限がかかってしまうことになり、例えば大事な用事があったとしても迂闊に人混みには出歩けないだろう。もちろん、他方でこうすることでコロナの感染及びその拡大を徹底的に封じ込めることができているのが事実だ。

2.自由や人権のあり方

そもそも個人の自由や権利というあり方を見直すことも必要になってきたのかもしれない。近代西洋的な考えが現在の世界を支配し、それによって実際にこの数百年は目覚ましい進歩を遂げており、ましてや日本は明治維新や戦後の復興を通じてどうしてもこの価値観を絶対視してしまいがちだ。他方で、それまでのような絶対王政的価値観に基づいた独裁国家は、少なくとも国家全体という枠組みにおいて経済的な成長は妨げられ、貧富格差が広がり、インフラや医療が十分に行き渡らない世界になっている。

しかし、これには前提がある。その独裁者なる人物が自身の私利私欲を第一優先として政策を実施してく場合である。つまり自分および自分の支持者に有利な政策を進めることで、国家全体としての安全や格差是正ということには重きが置かれない、そのため、国家として十分に成長していかないという状態であった。

3.民主主義の絶対性に対する疑問

それに対抗する手段として民主主義があるわけだ。そういった理不尽な政策をするトップは多数決で引き摺り下ろしてやれば良い。この仕組みがあるために民主主義は独裁者の暴走を防ぎ、国家の治安をもたらすと考えられる。ただし、その民主主義にも綻びが見え始めているのも事実だろう。例えばイラクにおいてはアメリカがイラク戦争を仕掛け、サダム・フセインが処刑され、バアス党が解体された。そしてイラクにて念願の(?)民主主義が誕生した…のだが、これがうまくいっておらず、未だに治安は不安定だ。それもそのはずで、人口割合でいうとシーア派が多数のイラクにて、スンナ派のバアス党がそれまで政権を握っていた。これがバアス党が崩れて、まともに多数決による選挙を進めていけばシーア派有利の政権になってしまう。その結果、バアス党として今まで制御してきた仕組みやルールは崩れ始めていき、ますます混乱を深めていくことになる。これが民主主義に切り替わるにあたっての一時的な摩擦になるのか、それとも、民主主義というものが絶対的な仕組みではなく、1つの失敗例ということなのか。

また、民主主義はポピュリズムの危険性も常に孕む。歴史をたどればドイツのナチス党は言うまでもない。最近でいうと、検察庁法改正案におけるハッシュタグSNSで異常に盛り上がり、国会としてもこれを民意として認めざるを得ず、法案改正が見送られた事態が発生した。つまりこれこそは民主主義の新たなあり方であり、怖さでもある。選挙という形で代表者を選び、その代表者経由で民意を反映する、という間接的民主主義を取らずとも、SNSインフルエンサーハッシュタグをつけてツイートして拡散してもらえれば、それが民意として反映されることになるのだ。これが悪用されないことをただただ願うばかりである。

4.今後の国家のあり方

ということで、今後の国家のあり方の1つとして、中国というのは国家形成にあたって1つのモデルなのかもしれない。もちろん行き過ぎた監視社会・管理社会は国民からの不満も招くし、人権の尊重という観点からも望ましくない。ウイグル地区における教育施設なんかは最たる例だろう。しかし、こういったコロナのような国家の危機的状況を乗り越えるにあたっては、いちいち民意の反映なんてしておられずある程度強力なトップが国を動かしていくことが求められる。ただ、その強力なトップが国を動かしていくにあたって、過度な暴走を防ぐためにも、一定の客観的な裏付けは必要で、そういった裏付けデータは高度な監視社会・管理社会だからこそ生むことができる。かつての毛沢東政権の大躍進政策においては、その政策の妥当性を示すため、いや、というよりは失敗の隠蔽のために部下から虚偽の申告がどんどんあがった。しかし、それを信用して、その申告結果を元に毛沢東が政策を推進したことで、国民のリソースを過度に上回る生産計画となってしまい、数字上は豊かな国でありながら国内で餓死者が多数出るという甚大な被害につながった。大躍進政策下においては下手な戦争なんかより人が死んでいると言われている。しかし、この現在社会における客観的データは人為による報告ではないため、嘘はつきにくい仕組みのはずだ。もちろん、それをもって中国が対外的にどう発信するかは、誇張や脚色はあるだろうが、少なくとも中国国内で管理する分には一定の信頼性の高いデータとして扱える。

こういったデータを駆使のテクノロジーと政治との組み合わせにより、良くも悪くも高度な監視社会・管理社会を生み出すことに成功した。まだまだ付随する問題は山ほどあるだろうが、コロナ対策で功を奏したことを鑑みると、国民が一定の権利を国家に捧げて国に守ってもらうという考え方も、答えの1つとなっていくのだろう。

以上、つらつらとあれこれ書かせてもらったが、自分は政治学者ではなく、ただのサラリーマンなので素人考えの範疇であることを了承願いたい。