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【2020年】7月14日:トルコが世界遺産をモスクに変更することがどれだけのことなのかを解説する

トルコが世界遺産をモスクに変更するというニュースを耳にした。おそらく大抵の人は「ふーん」というレベルで聞き流してしまいそうだが、これはかなり歴史的に大きな意義のある出来事である。そのあたりを宗教的な経緯を追って解説していきたいと思う。 8000字を超える長文となってしまったので、読みたい人だけ読んでもらえれば十分である。

 

トルコ、世界遺産をモスクに変更

www.nikkei.com

news.yahoo.co.jp

 なぜこれがニュースとして成立しているのかを知るには、歴史を知らないといけない。今回、トルコがモスクにしようとしているアヤソフィアというのは、歴史的に見ると特異な寺院であり、それを知らないとこれがどれほどのことかがピンとこない。

また、トルコという国がアジアとヨーロッパをつなぐ中間地点に位置することもあり、歴史的にも非常に複雑な経緯をたどっている。そのあたりも含めて色々書いていこうと思う。

01.トルコ、というかイスタンブールにおける宗教

まず、トルコ(イスタンブール)およびその周辺国の地図を見てほしい。

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トルコという国は地味なイメージを持つかもしれないが、なかなかな大国である。よくよく地図を見ると分かるのだが、結構でかくてその面積は日本の2倍ほど、そして8,000万人を超す人口を抱えている。日本が1億2000万人いるため、8000万人といってもあまりピンとこないかもしれないが、1つの国で8000万人以上の人口を抱えるのは世界的に見ても普通に上から数えたほうが早いレベルで多く、特にヨーロッパ・中東エリアにおいては大国と言える規模である。

そして地理的な観点で言えば、例えば「ギリシャ」と言われると一般的にはヨーロッパをイメージすると思うが、地図を見ての通りトルコにめちゃくちゃ近い。なんならギリシャはかつてオスマン帝国の占領下だった時代もあるくらいである。特にトルコの最大都市であるイスタンブールなんかはギリシャブルガリアと目と鼻の先である。そしてそのイスタンブールは、かつてはかの東ローマ帝国の首都であった。つまり、キリスト教の総本山はイスタンブールだったのである。本ニュースのアヤソフィアについてはそれが関係してくる

このあたりについてもう少し歴史を整理する。

02.ローマ帝国におけるキリスト教の扱い

古代ローマ帝国は紀元前から存在しているため、当然その時はキリスト教自体が存在していなかった。このときの宗教観としてはギリシャから入ってきたギリシャ神話であり、それがローマ神話として取り込まれていった。そのためギリシャ神話とローマ神話の差異は、神の名前の呼び方がギリシャ風とローマ風で異なる程度で、基本的な筋は同じである。また、"ローマ帝国"というと、一見ローマ含めたイタリア周辺くらいの領土をイメージしてしまいがちだが、そんなレベルではない。時代によって領土は変わっていくものの、以下のように、北アフリカや中東の一部もローマ帝国の領土である。もちろんそこにはトルコ(イスタンブール)も含まれる。

 ※Wikipediaより引用

File:Theodosius I's empire.png - Wikimedia Commons

そして、西暦を迎えてキリスト教が広まっていく。キリスト教はヨーロッパの宗教というイメージがあるが、イエスイスラエル生まれのユダヤ人で、中東起源の宗教である。なんなら今でもキリスト教の源流に近い思想の諸派は中東に存在する。(レバノンキリスト教マロン派とかアルメニア教会とか)

その後、キリスト教がヨーロッパに広まっていったのはイエス本人の功績というより、パウロやペテロといった使徒(イエスの弟子的な存在)の功績である。こういった弟子たちによりキリスト教ローマ帝国中にまたたく間に広がっていく。もちろん、中東からアジアにかけた東方面にもそれはそれでキリスト教が伝わっていたのだが、その頃はマニ教だったり、インドの方まで行ったらバラモン教(→後のヒンディー教)や仏教といった別の宗教も盛り上がっており、そしてその後はやがてイスラム教が趨勢するにあたってキリスト教の存在感は薄れていった。(このあたりの詳細については以下の本が詳しい。) 

古代オリエントの宗教 (講談社現代新書)

古代オリエントの宗教 (講談社現代新書)

 

 その後ローマ帝国にてキリスト教が広がるにつれ、キリスト教徒の勢力がローマ帝国支配における驚異になってきた。ローマ帝国においてはローマ皇帝は神格化されており、すなわち皇帝=神という構図であったのだが、キリスト教一神教の解釈においてはとてもだがこの構図は成立し得ないだろう。(キリスト教における神の考えについての詳細はここでは省略する。ただ、少なくともイエスの父が神であることを鑑みると、ローマ皇帝を神というのはさすがに無理がある。)

こうして、ローマ皇帝からすればキリスト教は邪魔な存在になってきたため、キリスト教信者を力でねじ伏せて弾圧をしたりもする。その中でも有名なのはかの暴君と呼ばれた皇帝ネロによる弾圧であろう。皇帝ネロは暴君ハバネロの元ネタである。

 ただそうやって弾圧をしてきても、キリスト教の勢力は強まっていくばかりなので、とうとう手に負えなくなってきた。キリスト教においては布教にあたっての死は、殉死としてかえって尊い扱いを受けたりしていたくらいなのである。そのためかえって逆効果にもなってきた。というわけで、ローマ帝国として宗教の自由化(事実上キリスト教の公認)を行った。これをミラノ勅令というのだが、ミラノとは全く関係ないらしい。なぜ"ミラノ"勅令というのかは不明である。

 というわけでこれでめでたくローマ帝国にて堂々とキリスト教を信仰できるようになってきたのだが、今度はローマ帝国という国そのものが危うくなってきた。というのも領土がでかすぎて統治が効かなくなってきたのである。そのため、西ローマ帝国東ローマ帝国に分かれることになる。先程の地図でいうと赤色が西ローマ帝国、紫色が東ローマ帝国である。もう一度地図を掲載する。

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そして東ローマ帝国は首都をコンスタンティノープルに定める。このコンスタンティノープルというのが今で言うイスタンブールである。そして、ローマ帝国においてはキリスト教を国教化しているので、そのキリスト教総本山としての機能も当然コンスタンティノープルに置かれることになる。誤解を恐れずに言うとつまり、かつてトルコはキリスト教の国であったのだ

そしてようやくニュース記事の話である。この時コンスタンティノープルに建てられたキリスト教の教会がアヤソフィアである。その後増改築をしていくにつれて、コンスタンティノープルにおける最大級の教会となっていった。

03.イスラム教成立

その後西暦600年をすぎた頃にイスラム教が成立する。イスラム教はそれ自体は独立している宗教ではなく、ユダヤ教キリスト教に続くセム的一神教(アブラハムの宗教)であり、イスラム教からすると、啓典の民としてユダヤ教キリスト教は"仲間"としているのが教義である。(正確な言い方をすれば人頭税の支払いにより権利を認めているに過ぎないが、いずれにせよ、多神教よりは真っ当に相手してくれるスタンスである。)

このあたりのイスラム教の教義についての話はこれまた省略するとして、このイスラム教が成立したあと、始祖ムハンマド率いる信者たちによりどんどん領土を拡大していった。ムハンマドが死んだあとの後継者争いで色々あった後、最初のイスラム王朝であるウマイヤ朝が成立し、そんな感じでいわゆる我々がイメージする中東=イスラム教という勢力図が固まってきた。ちなみにまだこの頃はイスタンブール(コンスタンティノープル)そのものは東ローマ帝国の領土内だったものの、イスラム教勢力が割とすぐ近くまで迫りつつある状況であった。

04.大シスマ

さて、キリスト教における大きな派閥の争いというと、16世紀頃に起きたカトリックVSプロテスタント宗教改革、およびそこから発生した普仏戦争や100年戦争といった各種争いをイメージしてしまいがちだが、キリスト教における分派の大事件はそれよりも前に起きている。それが東西教会の分裂(大シスマ)である。いわゆるXX正教会とか、XX東方正教会という言い方をするキリスト教の派閥がそれである。キリスト教が成立して1000年ほど経ち、教義のあり方について色々と揉めまくっていた歪がここで決定的な決裂を生み出した。分かりやすいところで言うと偶像崇拝の推進の是非である。

そもそも、キリスト教、というかユダヤ教イスラム教などのアブラハムの宗教においては偶像崇拝はかなり根源的なタブーである。(旧約聖書においてはモーセ十戒に書かれているし、新約聖書上にもその手の記述がある。もちろんコーランにも。) しかし、キリスト教カトリック)はローマ帝国の拡大に伴う布教のために割と初期の頃から偶像崇拝を推進しまくることで、信者を取り入れていった。確かに、マリア像やイエス像があればそれは明確な信仰の対象にしやすく、宗教として説得力も増す。のだが、こんなことをしていたものだから、真面目な派閥からは「そりゃあんたこれやっちゃいかんでしょ」ということで大喧嘩が発生。ついに東方正教会という別派閥としてキリスト教が大きく分派することになった。(とはいえ、東方正教会ではイコンといって、絵画を祈祷対象としている。あくまでのこの偶像崇拝に関する争いは分裂要因の1つにすぎない。)

ちなみにイコノクラスムといって、偶像崇拝禁止を掲げる派閥により、各種偶像を破壊する活動もキリスト教内でしていた歴史がある。今の我々だとアフガニスタンタリバン政権によるバーミヤーン大仏の爆破のイメージが強いため、ここまでするのはイスラム教徒の一部の過激派と思いがちだが、キリスト教の過激派も同じ穴の狢である。

その他、儀式におけるお作法や教義の解釈等の意見の相違だったり、あとは単純にローマ帝国が東西分かれているお国としての対立などもあり、キリスト教が東西に分かれていった。そして、"東方"正教会の名の通り、東ローマ帝国における首都コンスタンティノープルには、当然のごとく東方正教会としての総本山が君臨することになり、今現在でも東方正教会の総本山はコンスタンティノープル(イスタンブール)となっている。 

 

05.コンスタンティノープルの陥落

というわけで東西分裂はあったにしろ、コンスタンティノープルはずっとキリスト教の国であり、アヤソフィアも当然キリスト教の教会として活用されていっていた。そんな中、勢力を拡大してきたイスラム教王朝が迫ってきたことで、とうとうコンスタンティノープルが占領されてしまった。これが1453年におきたコンスタンティノープルの陥落である。これにより、コンスタンティノープル東ローマ帝国ではなくオスマン帝国の領土となる。そのままコンスタンティノープルオスマン帝国の首都になり、その結果、アヤソフィアキリスト教教会からイスラム教モスクへ用途を変更する。そう、そのためアヤソフィアキリスト教建造物でありながらイスラム教建造物でもあるという両方を兼ね備えた世界でもかなり稀有な建物なのである。

こういった歴史を持つ建物のため、アヤソフィアの内部にはイスラム教的なアラビア文字のカリグラフィがありながら、マリア・イエスの絵があったりと、非常に不思議な内装となっている。以下は去年自分がトルコに旅行したときに撮った写真である。

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偶像崇拝を厳格に禁じるイスラム教において、かつてモスクとして使っていたときはマリア・イエスの絵は隠していたらしいが…。なお、国がイスラム化したとは言っても、全員がイスラム教徒というわけではなく、キリスト教ユダヤ教といった啓典の民には人頭税を払うことで一定の権利を認めていた。

06.第一次世界大戦からの近代化

その後、世界大戦がやってくる。第一次世界大戦の勢力図はこれまた真面目に語りだすと複雑なので、誤解を恐れずに超簡略して言うと、ロシア・イギリス・フランスVSドイツ・オスマン帝国の戦いである。で、結果は後者が負けることになり、オスマン帝国においてはどんどんと陣地を解体されることになる。このどさくさでギリシャオスマン帝国から独立していったり、サイクス・ピコ協定といって時折話題になるクルド人問題の発端となる国境分割をするようになる。そのあたりは以下を参照。

トルコがシリア北東部のクルド人勢力を攻撃している件について分かりやすく解説 - 一生旅行生活してえ

その後、この大戦から復活すべく、近代化を進めたのが当時の大統領であるムスタファ・ケマル・アタテュルクである。各ヨーロッパの国々が近代化によりどんどん成長していっているのを見て、「こりゃうちも本気で近代化してかないとヤバい!」ということで、それまでトルコ語アラビア文字だったのをアルファベットを基調とした文字に変えたり、世俗主義(政教分離)政策を取るようになった。特に後者については、イスラム教における基本的な考え方を覆すものとなる。イスラム教に対する我々のイメージ、例えば女性は人前ではスカーフで身を隠すとか、酒は飲まないとか、そういった習慣については、単なる習慣を超えてイスラム法として制定しており、これを遵守することがすなわちイスラム教徒として生き方そのものでもある。中にはサウジアラビア等の厳しい国のように、これらを破ると普通に罰則の対象となってしまったりもするわけなのだが、これに対してトルコにおいては近代化・世俗化を進めることを優先として、公共の場でのスカーフ着用義務は不要、酒も飲んでOK等々と、イスラム教らしからぬ政策を進めていった。建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクは徹底的なリアリストのようだ。

 ちなみに欧米諸国における政教分離については、必ずしも政治と宗教を全部分離してるわけではなく、その国ごとにどこまで線を引くかは異なっている。その中でも特に際立ってきっちりと政教分離しているのがフランスであり、それこそイスラム教における女性の公の場(学校とかそういうのも含めて)でのスカーフ着用を禁止している。ムスタファ・ケマル・アタテュルクはそのフランスを参考にして徹底的な政教分離をしてきたため、国民の9割以上イスラム教を信仰しながら宗教的な縛りは結構薄い国となっていった。ちなみに以下はトルコのビールであるエフェスビールである。レストランに行けば普通に飲める。

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そんな中、キリスト教協会からモスクへと变化したアヤソフィアについても、モスクとしての役割もやめて、博物館として解放することとなった。ある意味これは宗教的に中立な立場・イスラム教からの脱却した世俗主義を取っていることを示す象徴的な施策であろう。そしてこれが世界遺産に登録されて今に至っている。

07.トルコの西洋化

そしてようやく西暦2000年にまで到達する。この2000年くらいの歴史を振り返ると、イスタンブール東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルだった時代は西暦400年くらいから1453年まで、つまり1000年以上キリスト教の総本山であった。当然その間トルコ(イスタンブール)はむしろローマ帝国=ヨーロッパというくくりのほうがイメージとしては妥当であろう。そしてその後はイスラム化したものの、第一次世界大戦後は世俗化・近代化(西洋化)していった。つまりトルコはヨーロッパに戻ろうとしていたのである。例えば軍事的な同盟であるNATO(北大西洋条約機構)には、結構初期段階からトルコは参画している。つまり軍事においては割と昔からトルコはヨーロッパと手を組んでいるのである。そして、つい最近まで経済や政治的なヨーロッパとの繋がりであるEUへの加盟を目指していたが、EUから色々とケチをつけられてなかなかここに入れてもらえてないという状態であった。ぶっちゃけ国をキリスト教化しないとEU加盟は無理だろう。

08.エルドアン政権によるイスラム

そして今の大統領であるエルドアン政権が誕生した。この大統領、国際的には独裁っぷりがなかなかの評判である。アメリカのトランプ、中国の習近平、イギリスのボリス・ジョンソン、そしてトルコのエルドアン。これらは現代の世界のトレンドである自国主義を貫く独裁的政治者の最たる例だろう。(※別にそれが悪いといっているわけではない。) ちなみにトルコでは例えば中国のような言論統制もしていて、Wikipediaのアクセスが遮断される。自分が旅行した時に「なんかWikipediaにうまくつながらんなぁ」と思っていのだが、こういうことだったのである。

こういった中、エルドアン政権では、ムスタファ・ケマル・アタテュルクにより進められていった世俗化・近代化つまりはトルコのヨーロッパ回帰を否定し、イスラム教らしさを取り戻していく政策を進めていっている。例えば女性の公のスカーフ着用を法律として認めるようにしたりなどだ。母体となる公正発展党はそのようなイスラム化を推進することを是としていることもあり、当然政策もイスラム寄りになってきてくる。このあたりについては、以下の書籍ご参考。

そうして今回の件、つまりアヤソフィアをモスク化するということは、今までは博物館として宗教的には中立的な立場(≒政教分離)をとっていた象徴ともいえるべき存在を捨てる宣言と言っても良いだろう。つまりこれにより、トルコのイスラム化が一層進むことになるはずだ。もはやトルコにおいてはEUに加盟するつもりはまったくないのだろう。

この事自体が良いとか悪いとか言うつもりは無いし、それを判断できるほどの手触り感をもった実体験も当然自分には無い。ただ、少なくともこの風潮が盛り上がってきているということは、イスラム教信者において自分たちのアイデンティティのよりどころとしてのイスラムがより明確になってきたということなのだろう。かつて世界的に問題とされていたISについても、見方によってはイスラム教の考えや風習をきちんと踏襲している組織であり、ある意味西洋化・世俗化したイスラムに対するアンチテーゼであったともいえる。そのため、世界中から"本当のイスラム"を実践する若者たちがISに殺到してきたわけだ。さすがにISのような過激にやる組織に属すわけにはいかずとも、敬虔なイスラム教徒であることを自覚しているのであれば、イスラム教において一般的と思われる風習・習慣等を実践していきたいと思うのは当然であろうし、イスラム教信者が9割を占める国でありながら、それを認めないような政策になっていることに対して疑問を呈するもの当然であろう。

このため、このニュースは、単に「かつてモスクとして使われていた施設を、もっかいモスクとして使います」という以上の、歴史的な変遷を表す衝撃的な出来事になるのである。ちなみにモスクになったところで、イスラム教徒以外立入禁止!ということにはならないはずで、今後モスク化したとしても普通に観光として中には入れるとは思う。ただ、偶像崇拝を明確に禁止するイスラム教において、マリアやイエスの絵は何らかの形で隠されることになる可能性が高いだろう。

※余談だが、イスラム教においてマリアやイエスの存在自体は認められており(なんならイエスは5大預言者の1人としている)、別にそれ自体を排除したりするような教義にはなっていない。

現在、地球上においてイスラム教徒は約18億人とも言われており、しかも人口増加が著しい国にて信仰者が多いため、数十年後にはキリスト教徒を追い抜くとも言われている。将来的には西洋によるキリスト教的な常識・考えに取って代わり、イスラム教的な常識・考えをより理解しないといけない時代がやってくるであろう。