一生旅行生活してえ

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【2020年】7月20日:なぜAIが出ても仕事は無くならないのか、成果主義で時間管理は不要となる

さぁ今週は3日乗り切れば4連休だ!天気が微妙そうなのが懸念である。コロコロと天候が変わりやすい時期でもあるので、うまく晴れるといいのだが。

 

新常態「その仕事、AIで」

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「人間がAIに取って代わる」みたいな話が巷にてよく出てくるものの、大抵の記者はAIの基本的な事も知らないし、当然読者も知らないので、トンチンカンな記事になることが多い。AI:人工知能といっても、なんでもかんでもできるわけじゃないし、AIだからこそできること、逆にできないことがある。もちろん、人間の仕事がAIに取って代わったところで、街中に失職者があふれかえるわけでもないし、逆にそのAIを使いこなすための人材が重宝されるようになる。でもこれもAIだからというよりは、通常の技術発展においてはごく当たり前のことであり、従来からも"かつては存在していた職業"のように、機械や技術やトレンドの変化により無くなった仕事、取って代わった仕事なんてのはごまんとあるわけだ。例えばチャーリーとチョコレート工場に出てくるお父さんなんかはまさにその象徴だろう。(工場のラインで一日中歯磨き粉のキャップをしめる仕事をしていたが、機械の導入によって職を失った。)

AIのスペシャリストでなくても、最低限の機械学習の知識は理解しておくべきで、それを知っていればAIの強みやできることは見えてくる。例えば医療におけるレントゲンやMRIの画像から病気の可能性を特定することや、会議やスピーチにおける音声からの文字起こし、TwitterYahoo!コメント等から拾ってきたテキストからのトレンド類推等はAIでも行える範疇であろう。逆に、経理や会計といった精緻に数字を合わせないといけない作業には全く向いてない。どこかの記事にて「経理業務のように、決められたことだけをやるような仕事はAIに取って代わる」みたいなのがあったが、AIの強みは人間等有の"勘"を算出することであって、むしろ経理業務のように1円たりともずらしてはいけないような仕事こそAIは全く向いてない。あえて言うのであれば今まで通りの会計システムの入力をある程度支援できるような仕組みが、OCRやRPAで実装されるくらいであろうか。ただ、OCRで読み取ってRPA自動入力までこぎつけたとしても、その妥当性のチェックの最終的な門番は人になるし、またRPAをメンテナンスするにあたってITリテラシと業務リテラシが問われるので、やはり単純に取って代わるのは難しいだろう。

 

成果型へ どう時間管理

www.nikkei.com

この記事のタイトルに矛盾を感じてしまう。成果型であるからこそ、時間管理は不要になるのでは?と思うのだが…。

とは言え、いくら成果主義とはいっても、その成果を出すためにブラック企業のように過剰に働かせてしまうのは良くないことではあるので、一定の労務管理は必要であろう。ただ、それは"時間"だけの管理ではなく、休日の取得や健康面でのケアも含めた管理であり、単に労働時間だけを計測すればいい話ではない。また、成果型主義を導入した場合に今までどおりの時間管理をしようとすると、かなり無理が出てくる。例えば、家で(プライベートで)仕事に関係のある分野について調べ物をしていた、とか、仕事に関係のある資格の勉強をしていた、といった活動である。従来の時間管理型であれば、会社に出社して決められた時間内でやっていればそれは労務時間、その時間外であれば労務外時間として白黒つけやすいが、成果型の場合はいつ働こうがその縛りがないため、このような仕事と日常の中間になるような取り組みに対しての管理ができない。というか、すべきではないのだ。これを言い出すと、「寝る前に翌日の仕事について考えごとをしていた」とかも勤務時間とするか?みたいなアホらしい話に発展してしまう。テレワークが推進する中ではなおさらその傾向は強まるだろう。

というわけで、成果主義を導入するのであれば時間管理については自己申告制として、月次の総労働時間が明らかに法外でなければ問題ないという程度で良いだろう。過大申告しようが過少申告しようが、成果を出しているかいないかが評価軸となるので、そこには影響しない。きちんと成果を出していれば労働時間が少なくても問題なし、逆に成果を出すために労働しまくるというのも、本来的にはおかしいことではない。

昨今、ブラック企業の風当たりが強いために、ちょっとでも労働時間が多いと世間から非難にさらされるが、きちんと仕事にうちこむためにその分時間を費やしたいという人だっているはずで、そういう人の働き方も尊重されるべきであろう。それにより健康を崩したり、部下に強制させて組織を疲弊させるのが問題なのであって、個人の働き方としての問題ではないはずだ。行き過ぎた"働き方改革"からのより戻しはきっとやってくるだろう。