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太平洋戦争における日本の軌跡2 ~ミッドウェー海戦~

↑AIに描かせた絵なのでなんだかおかしい。

自己研鑽の一環として『失敗の本質』を要約し、太平洋戦争(第二次世界大戦)においてターニングポイントとなった事象を記す。2回目はミッドウェー海戦である。

 

 

1回目のノモンハン事件については以下参照。

s-tkmt.hatenablog.com

 

ミッドウェー海戦

概要

ミッドウェー海戦は太平洋戦争においてターニングポイントとなったと言われる戦いである。真珠湾攻撃パールハーバー)により開戦した太平洋戦争において、それまでは日本がアメリカを押している戦況であったが、この戦いを機に日本がどんどん不利になっていくことになる。

1回目のノモンハン事件満州とモンゴルの国境で起きた事件のためあまり太平洋感は無いが、2回目以降はいわゆる太平洋の島々や海洋が舞台となる。

ミッドウェー島は日本とハワイの間にある島で、ハワイ寄りに位置している。なぜ日本からこんなにも離れた島で戦闘が繰り広げられたかというと、もし日本がここを抑えることができればそのままハワイの制圧が一気に近づくためである。

ハワイはアメリカ本土から大きく離れた離島とはいえども、立派なアメリカの領土である。もし、日本がハワイも抑えることができれば、広い広い太平洋において米国の領土がなくなるため、もし以後米国が日本を攻めようとする際には、アメリカ本土からわざわざ都度出港しないといけなくなり、物資の輸送など限界が生じるため、戦略上かなり不利な立場となってしまうのである。

そのため、日本としてはなんとしても抑えたい、アメリカとしてはなんとしても守りたいエリアがミッドウェー島であった。

しかし、結果で言えば日本はこのミッドウェーを抑えることができず作戦は大きく失敗した。敗退要因としてはさまざまな面での指摘があるが、本書で指摘されている内容としては、目的の不一致による作戦や戦術の混乱とされている。詳細は後述するが、日本における状況とアメリカにおける状況がちょうど対をなしており、失敗の本質が浮き彫りになっていくことであろう。

ミッドウェー海戦に至るまでの状況

太平洋戦争の開戦に至るまで

明治維新を経て近代化した日本は、世界におけるプレゼンスを高めるため・並びに欧米からの支配を免れるために、欧米列強諸国にならって領土獲得を積極的に進めて国力の増強に努めてきた。

そのような中で特に日本は満州を始めとした中国および朝鮮半島の統治を進めていき、これら東アジア一帯を日本の配下に置くことを推進していった。これに対してそうはさせないぞと戦争を仕掛けてきたロシアにも日露戦争にて勝利してしまい、大連や旅順を租借地として日本の統治下に置き、1910年には韓国も併合してしまう。

その後に始まる第一次世界大戦においては、欧米諸国が自国の攻防でいっぱいいっぱいになっている状況下で、遠く離れた中国の扱いは手薄となっていた。この状況下でドイツが統治していた山東省エリアを日本がぶんどってしまう。そうして1932年に日本の傀儡国家である満州国を擁立し、日本の東アジアにおける影響力が日に日に増していく状況であった。

当然中国からすれば侵略されてきている状況となるので、徹底的に日本に対して抗戦をする。この抗戦がどんどん発展し、盧溝橋事件を発端にして日中戦争が始まっていくことになる。なお、当連載記事1回目のノモンハン事件はこの日中戦争の最中に起きた出来事である。

そして、欧米諸国からしても日本の勢力拡大に対する懸念が募り、経済制裁として日本に対して石油を始めとした全面的な禁輸措置をしかける。これがABCD包囲網であり、それぞれアメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の頭文字から成り立っている。

これに対して日米の間で交渉を重ねていったものの、全然折り合いがつかず米国からハル・ノートを突きつけられた。内容としては要は今まで日本がやってきたことをやめて大人しくしなさいということであるのだが、日本はこれを同意せず、全面的に米国と対立することを選んだのである。

そして、1941年12月8日に日本がハワイの真珠湾攻撃を開始することで太平洋戦争が始まるのである。

ミッドウェー海戦が始まるまでの状況

最終的に日本は太平洋戦争で敗戦したものの、太平洋戦争において起きた各種作戦においてすべて負け戦だったというわけではない。それこそ開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃は日本として想定以上の成果をもたらした。(宣戦布告する前に攻撃したとかなんとか言われているが、一旦その話はおいておく。)

のだが、逆にこれがアメリカの火をつけることにもなる。日本としてはアメリカの出鼻をくじくことで、以後は大人しくなるだろうと思っていたのだが、アメリカをむしろ徹底的にやる気にさせてしまった。いわゆる「リメンバー・パールハーバー」の元、米国における戦争の士気を高める結果となってしまったのである。

日本はそんなことをつゆ知らず、次々と太平洋の島々獲得に向けて進めていく。そうして目をつけた島のうちの1つがミッドウェー島である。

日本のシナリオ

海軍においては、かねてから米国に対して漸減邀撃作戦(ぜんげんようげきさくせん)を構想に持っていた。これは、米国から日本までやってくる間に徐々に戦力を削って、日本に近づいたところで一気に叩く思想である。漸減邀撃"作戦"という名前だが、これ自体は具体的な作戦名ではなく、対米国と戦うにあたっての基本的な考え方・方針である。この考えを前提に日本海軍は30年にわたり作戦の研究や兵力の整備をしてきた。

しかし、山本五十六はこれに対する考えを持っていた。国力に大きく差があり、そして自主的に時期や場所を決めて攻めることができるアメリカに対して長期戦は不利であることは明らかなため、それよりも短期戦で一気に追い込んで米国の士気を喪失させる方が画策であるという考えである。これが真珠湾攻撃に反映され、上述の通り戦果は上々だったものの、かえって米国の火をつける結果となってしまった。

他方、真珠湾攻撃がうまくいったことで調子づいた日本は、ミッドウェー海戦においても真珠湾攻撃同様に短期戦を前提とした作戦を立てていく。作戦の概要としては、ミッドウェーを攻略することで、そこに控えている米国の空母部隊を誘い出し、その空母を叩くというものである。これには、真珠湾攻撃にて撃ちそびれた空母を殲滅させるという意図もあった。

なお、"空母"は"航空母艦"の略で、航空機を搭載した上で、航空機を飛ばす滑走路の役割も担うドでかい戦艦である。実はそれまでの戦いにおいては空母というのはそこまで重要視されたものではなかった。というのも航空機自体の性能が低かったり、そこまで大規模な海での移動が不要であったからである。しかし、航空機の性能が上がったことで航空機の重要性が増し、さらに名前の通り広大な海を戦いの舞台とする"太平洋"戦争においては、飛行機を大量に輸送しつつ海上で離着陸できる手段となる空母は戦略上重要になっていくのである。

米海軍のシナリオ

真珠湾奇襲後、一段落した日本海軍が改めて太平洋のどこかで作戦をしかけるこを見越していたものの、時期や目的地については判断がつきかねていた。しかし、そのような中にて、日本海軍にて用いていた「海軍暗号書D」の解読に成功し、日本側のミッドウェー作戦の計画に関して把握することに成功した。この情報が筒抜けであったことが日本敗退の要因ではあるのだが、他方で米国としては暗号解読したから楽勝!というわけでもなく、むしろリアルな日本部隊の編成状況などを知ったことで、現時点の米国の兵力ではむしろ敵わん!と思っていたのであった。

これらの暗号解読情報を元に米国としてはミッドウェーの補給優先順位を最優先として守備を固めていくのであったが、ミッドウェー海戦前に発生した珊瑚海海戦にて主力となる空母が損傷しており、修理に3ヶ月かかる状態であった。しかし、この損傷した空母を不眠不休でわずか3日で応急修理を行い、空母を取り揃えるのであった。

そして日本はミッドウェーを攻略して空母をおびき出そうとするシナリオなので、これに対応できるよう、偵察機を飛ばして日本の空母を発見次第、攻略される前に先んじて日本軍空母を破壊して日本の制圧を逃れることをアメリカ軍としてシナリオを描いた。

ミッドウェー海戦の経過

探索の開始

日本と米国でそれぞれ探索を開始。米国のほうが早く日本軍を発見し、間もなく日本軍がミッドウェーにやってくると察したため、米国軍はミッドウェー基地から次々と航空機を発進させた。また、空母は先んじて出陣させておき、日本軍が控えているであろう付近に待機させた。

その後、日本軍がミッドウェー上空に到達して攻撃開始。だが、米国軍はすでに日本が来ることがわかって既に発信していたので、ミッドウェー島の基地はもぬけの殻。日本としては基地に損害は与えられたが、空母や航空機にはダメージを与えられずに終わってしまった。

他方で、ミッドウェー基地を発進した米国航空部隊は日本軍の上空に達したので攻撃を開始。だが、統制取れておらずバラバラかつ長々と攻撃したためあまり効果出ずに終わる。それどころか日本軍から返り討ちを食らってしまう。

このように必ずしも米国が一方的に有利だったわけではなく、米国は米国で苦戦している状況であった。しかし、バラバラかつ長々と攻撃していったことで日本軍としては自軍の上空警戒をせざるを得ない状態となり、ミッドウェー攻撃の注意を逸らすこととなった。

以下、ここから大きな分岐点が生じる。

日本の状況

ミッドウェー島の現場はもぬけの殻であることを南雲司令長官はつゆ知らず、探索機から特に敵艦隊発見の連絡が無かったので、そのままミッドウェーに対して第二次攻撃を仕掛ける準備をした。が、その際に遅れて出発した探索機より米国の空母らしきものを発見という報告があった。

よしよし、ここで空母を叩こうということで、ミッドウェーへの第二次攻撃の準備をやめて戦艦攻撃用の兵装転換を実施したものの、鬱陶しいハエのように米国軍からのバラバラかつ長々攻撃がずっと続いており、いざ出陣ができない状態であった。そうしているうちに、最初にミッドウェーに向けて発進した攻撃隊が戻り始めてきた。

ここで日本は以下の選択に迫られる

1.ミッドウェー島をもう1回攻撃するために、帰還する機動隊を迎い入れて準備を整えてから全力投入する。ただし、それをしていたら時間がかかりすぎてしまう。

2.近くに米国空母がいるっぽいから、さっさとこれを倒すため空母に飛行機を並べて出動させる。他方、ミッドウェーから帰還してきた攻撃隊が空母に着陸できなくなるので、それらは燃料不足で不時着させて後でなんとかする。

結果、南雲司令長官は1を選択。時間がかかるというデメリットはあるが、探索機の報告位置から鑑みてまだ時間的余裕があると判断したのである。日本軍および南雲の頭の中では、米空母はミッドウェー基地から誘い出される前提、つまりはじめから日本軍の近くにいるとは思ってもいなかったのである。

ここで、本来この作戦はミッドウェー基地を攻撃して誘い出した空母を殲滅させることであり、ミッドウェー基地の攻撃というのは手段であり目的ではない。そのため、ここでは2を取るべきであったのだが、目的が曖昧化してしまったことで明確に2で進めることができなかったのである。そのため、結果的に1を選択するにあたっても、内部では2のほうがいいのではという意見とも対立して、意思決定までに時間を要し、それに伴い現場での準備や段取りも混乱を生じることとなってしまっていた。

米国の状況

他方、米国側でも日本の空母を発見したためこれを攻撃しようと考えたのだが、以下2つの選択に迫られた。

1.日本の空母を完膚無きまで叩きのめすために、一旦攻撃してきた機動隊を帰還させて準備を整えてから全力投入。ただし自軍の空母の広さの制約上、これをするには燃料に余裕のある搭載機を一度飛ばして上空で待たせている間に、次の搭載機の発進準備を行い準備でき次第発進して合流する、という時間がかかるものとなる。

2.とりあえずある程度燃料に余裕ある搭載機を先に発進させて、後追いで次の機体を発進して逐次攻撃する。

結論でいうと米国は2を選択したのであった。実はもともと1で行こうと思っていたのだが、レーダーに日本の探索機を捉えたことで、こちらの状況を探られてしまう前にさっさと攻撃しないといけないと即座に判断したためである。

日本軍の被弾

こうしたスピード重視の米軍の攻撃は日本の予想を上回る速さであり、日本軍が次の攻撃に向けて多数の航空機を収容して艦内が混乱している最中という、最悪のタイミングでの攻撃を受けることとなった。日本軍はこれらを相手にするために上空にいた航空機を低空に位置させ対応し、一旦なんとか蹴散らしたものの、このときに上空が手薄となってしまっていた。

ここで、先述の通り米軍は後追いで次の機体を発進している。後からやってきた爆撃機が手薄となった上空に達し、ここから目標としていた空母に向かって急降下爆撃による奇襲を行った。

これにより、日本軍は3隻の空母が被災。用意していたのが4隻であったため、4分の3の空母がダメージをうけるという大損害であった。さらに不幸なのが各空母においては次のミッドウェー攻撃に向けた準備で、燃料を満載し、さらに魚雷や爆弾を準備するために甲板上にむき出しになっている状況であったため、米軍の爆撃をより効果的にしてしまったのであった。

結果的に米国の作戦がうまくハマったものの、すべてが意図したとおりではなく運もあった。しかし、日本側が判断に迫られたときに、即座に2の「近くに米国空母がいるっぽいから、さっさとこれを倒すため空母に飛行機を並べて出動させる。」をしていれば、状況は大きく違っていたことであろう。その点、米国側は状況把握により速やかに判断を行ったことで、余計ないざこざを起こさずに日本を攻撃することができたのである。

閉幕

その後、日本から米空母への攻撃を開始したものの時既に遅しであった。なんとか1隻を撃墜したのだが、米国側はこれを2時間で修復。その後日本がさらに爆撃をしてこの空母は撃沈させたのだが、日本としてはまさか2時間で修復しているとは思っておらず、2隻の空母を撃沈したと勘違いしてしまっていたのであった。さらに日本は最後の残っていた1隻の空母も爆撃を受け、結果的に日本軍は準備していた空母4隻をすべて失ってしまい、もう勝ち目がないと判断しミッドウェー攻略作戦は中止となった。

失敗の本質

何をもって作戦の成功・失敗と言えるか、というとそれはその目的を達成できたか否か、という観点であろう。

今回日本の作戦の目的は米国空母の殲滅である。これは真珠湾攻撃にて撃ちそびれた空母を叩き潰して、そしてミッドウェー島を抑えれることができれば、そのままハワイを制圧し、今後の戦略を優位に進めていこうとしていたのであった。他方で米国としての目的は日本の目的の阻止(つまり、米空母の死守)である。結果として、日本は米空母を1隻しか撃沈できず作戦が失敗、逆に米国としては空母を守れたため成功、と言えるであろう。もっと言えば日本は自前の空母4隻全部が撃沈されてしまったため、作戦の失敗以上に痛手を負ったと言える。

この原因となる部分について、1.作戦の目的・計画のレベル(戦略)、2.作戦遂行のレベル(組織)、3.組織の根底にある思想のレベルにわけて記述していく。

1.作戦の目的・計画のレベル(戦略)

・目的の曖昧さと指示の不徹底

まず、この作戦においては、それまで日本海軍が追求していた漸減邀撃作戦(ぜんげんようげきさくせん)ではなく、連合艦隊司令長官山本五十六の航空決戦思想の産物であった。つまり、真珠湾攻撃にて撃ち漏らした空母を撃滅させるために、ミッドウェー島を攻略して空母を誘い出し、航空決戦に持ち込むということであった。

しかし、この作戦の目的と構想が山本から南雲司令長官へと十分に伝えきれておらず、また、南雲に対してのみならず軍令部といったトップ層にも十分な連携ができていなかったことで、ミッドウェー攻略が主目的であるという誤認が広まってしまった。

他方で米国の太平洋艦隊司令長官ニミッツは自国の空母の安全を第一と考えており、こういった作戦構想については、日ごろから日常レベルにおいても部下とコミュニケーションを深め情報共有をしていた。

・情報の軽視と奇襲対処の不十分さ

日本軍の作戦は空母を誘い出してそれを叩く、であるが、それをやるとなるとこちら側の所在を暴露してしまう可能性があるため、逆奇襲をうける可能性がある。しかし、こういった可能性を予期せず、真珠湾攻撃をはじめとした緒戦の勝利で傲慢となっていたためか、コンティンジェンシープランを立案しきれていなかった。

・矛盾した艦隊編成

空母を誘導してそれを殲滅するという山本五十六の航空決戦思想の元開始された本作戦であるが、もともと海軍は漸減邀撃作戦を前提とした訓練・編成をしていた。そのため、今回の作戦とそぐわない艦隊編成となっており、なおのこと山本の作戦・目的が浸透しにくい状態となっていた。実は当時の日本海連合艦隊は米太平洋艦隊に対して兵力料・将兵の練度いずれも優位に立っていたのだが、それらを活かしきれない結果となってしまった。

・司令長官の出撃

山本連合艦隊司令長官が自ら出撃したため、全体を俯瞰して適切な作戦指導を行うことができなかった。他方、米国側のニミッツは自ら出撃せずハワイから作戦指導をしていた。

個人的な所感

組織における目的の共有とその浸透は決して簡単ではない。単に目的を掲げても案外現場メンバーには響かず、形骸化してしまうのである。せいぜい半期の目標設定をする際に見返すくらいで、普段の業務においては目先の数字や課題に囚われてしまうのである。そのため、目的を見据えた業務の計画や判断が浸透せず、非効率な組織運営となってしまったり、当初の想定していた方向とだんだんずれてしまっていく。

そのため、定期的な集まりや、1on1といった取り組みにて目的意識を日頃から共有していくことが重要なのであろう。1on1は本来そういった用途で行うものではないかもしれないが、チーム内のコミュニケーション施策を通じて、戦略的に目的を浸透させることが組織運営において必須といえる。ただ、一部の旧態依然とした企業のように、毎朝社訓を朗読させるといった活動は形骸化する可能性があると考える。社訓を朗読するだけであればやれと言われれば誰でもできるが、当然これはやらされに基づく受動的な行為であり、自発性を伴わない。果たしてこれで目的意識を共有できると言えるのだろうか?そのため、きちんとその目的を掲げたマネージャー層が、愚直にその思いを現場メンバーと共有していくことが重要なのである。

この目的が確立し、共有されていけば自然とその後の運営もそれに沿ったものになっていくであろう。そうでなければミッドウェー海戦で艦隊編成が矛盾してしまうように、人員・教育・設備・対客・営業・業務フロー等々が目的にそぐわずバラバラに各々の都合良いように構成されてしまうであろう。

2.作戦遂行のレベル(組織)

・航空作戦指導の失敗

米国空母が既に出陣しているということは無いだろう、という先入観に囚われていたことで、奇襲対処のための予備兵力を控えず、四隻の空母すべてからミッドウェーに対する攻撃を行った。また、米空母の存在を確認次第すぐに攻撃をするべきであった。航空決戦では先制奇襲するのが大原則なのである。日本はこのタイミングを失い、他方米国はスピード勝負でこのタイミングを手に入れることができたのである。

ミッドウェー作戦の目的=空母の殲滅が十分浸透していれば、わざわざ時間をかけてミッドウェー攻略の準備をしなおす、ということはせず、空母を見つけ次第攻撃する、という方針になっていたであろう。

3.組織の根底にある思想のレベル

・攻撃力重視の戦略

日本では艦隊決戦主義(可能な限り多くの戦力(艦艇)を集結させて艦隊を構成し、これをもって敵の海軍を壊滅に追い込む事を目標とする。)の用兵思想から攻撃力重視となっており、情報収集や暗号解読、探索、後方支援といったそれらを支える部分にリソースや訓練を費やすことができていなかった。また、これにより、当然防御は弱くなってしまい、一度攻撃を受けてしまうと大ダメージに至ってしまうのであった。

・ダメージコントロールの不備

防御が手薄になっているばかりだけではなく、一旦被弾した場合の対応・対策も不十分であった。空母の飛行甲板の損傷に対する被害想定や応急措置に対する研究や訓練が行われていなかったのである。他方、米国では珊瑚海海戦で大破した空母を不眠不休で3日で復旧したり、ミッドウェー海戦中でもダメージを受けた空母を2時間で復旧するといった、レジリエンシーが高い状態となっていたのである。

個人的な所感

ビジネスや日常業務において、攻めの姿勢自体は批判されるものではないだろう。ある程度のリスクを取って攻めて行かないと高い成果を得ることができず、守りに入ってしまうと、それまでの収益を落とさずに済むかもしれないが、これからの成長やイノベーションは生まれてこず、じわじわと組織が弱体化していってしまう。

しかし、当然のことながら攻め偏重ではリスクが大きすぎるのである。そのため、そのリスクを吸収するためにバックアッププランをどうするか、最悪失敗してもどの程度の損失なのか、失敗したらどの程度リカバリーできるのか、そういったことを事前に検討し、許容できるリスク量から攻めの具合を調整するべきであろう。つまり、リスクテイクをするにあたっては、きちんとリスクを見極める必要があるのである。

また、万が一の事態が起こっても即座に業務復旧できるよう耐障害性を高めることも重要である。いわゆるBCPであるが、想定していたリスクが顕在化しても、単に想定通りでした、というだけでは絵に描いた餅である。この想定リスクに対して適切に対処できるよう、BCP計画の定期的な見直しやBCP訓練を行い、いざというときに速やかに復旧できる体制を構築しておくことが組織運営上重要なのである。

 

続きの第三回はガダルカナル作戦

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